その後の出来事は、また、いつになく目まぐるしかった―弓枝が異常に男にモテモテな光景はもうとっくに見慣れてはいたが、やはり、目の前で直に見ると衝撃がすごいのだ―事前に伝言ダイヤルで待ち合わせしていた男がまた109の前に来ると、男は弓枝に懇願されるままに、あっという間に、猛ダッシュで、109の前からサラ金事務所に飛び込んでいった。その時の男性の心理は、一人の華やかなうら若い美女を金銭苦から救いたいという一心だったと思う。
その人数は一人ではなかった。その日、渋谷道玄坂の109の前には15分か25分おきくらいに数人の男が立て続けに姿を現したのだ。
「お金に困っているのよ!」「借金取りに追われているの!」とただその一言だけで、今初めて出会ったばかりの女を金銭苦から救うために何も疑わずに迷わず颯爽とサラ金事務所に飛び込んで行く男のロマンとドラマがそこにあった。何としてでも、このひまわりのように艶やかで華麗で凛とした美しい女性を借金苦とという忌まわしい不幸から救い出してあげたい!男達の心はこの時そういうロマンと自己犠牲に燃え立っていたに違いない。
「ねぇ、弓枝ちゃん、こんなにしてもらっちゃっていいの?あとで何か起きないかなぁ!?」「平気、平気!暫く稼いだら引っ越して移動するつもりだから、ずっと同じ土地は危険だから・・・」
そういうと弓枝の目はどこか遥か彼方遠くをジッと見詰めるような目つきになっていた。そして右手を手櫛にして軽く髪をかき上げてアンニュイなポーズになった。その表情は大変美しい雌豹のようだ。その時、全て何もかも悟りきっているような弓枝の台詞に、さすがに戸惑いを隠しきれず楓は困惑した。
「ねぇ!弓枝ちゃん、こんなこと続けて怖くないの?愛武とはどうなるの?一緒に引っ越すの?」「愛武がそうしたいって言うなら、そうすると思う、でも、愛武とはマンションで会う約束しているから引越し先も一緒とは限らないよ」「ええ、でも結婚するんじゃないの?」「私ね、しけたつまらない生活って耐えられないタイプなのよ!愛武が私を満足させてくれるなら結婚もちゃんとする、だけどそうじゃなかったら私は私のやりたいようにやるだけ」そう言いながら、弓枝は視線が定まらない状態で、疲れたように眉間に皺をよせて片手で額を覆った。
結局、渋谷109の前で待ち合わせた全部で9人の男が次々サラ金事務所に走り、総額50万ほどの金額が一日も掛からず数時間で弓枝の物になったのだ。
今、楓の目の前にいる弓枝は、普通のそこら辺にいる女性とまったく変わらなかった。少なくとも楓にとってはそうだった。だが、男達から見たら、そのブランドの洒落たスーツに身を包み、お化粧もブランド品で固めて完璧なハイセンスな姿の弓枝は眩いばかりの存在でまるで挿絵から抜け出たお姫様のように見えるのだろう。
だからって何もサラ金に走ることもなかろうに・・・どうしてせがまれた時に親に相談するように勧めないのか、その男達の行動は楓にとってとても不思議だった。
そして同時に不信感を持ったのだ。“男ってみんなああなのかしら・・弓枝のような美女を目の前にするとみんな鼻の下を伸ばして言いなりになってしまって・・・”
そして、そう思った直後にある恐ろしい未来図が楓の頭の中を駆け巡りだした。それは、もしかしたら、弓枝のために今後、日本、いや世界が震撼するほどの事件や災いが起きるかもしれないという未来予想図だった。魅力的な花や蝶のように美しく艶やかな弓枝に沢山の男性が魅入られて奪い合いを始め、殺し合いまで発展するかもしれないという阿鼻叫喚地獄絵を伴う恐ろしい恐怖の予想図だ。
だが、現時点で、いえ、何年も前から弓枝は現実の世界ではいない存在になっている。それは、決して死んだ訳ではなくて、もし正体や存在をハッキリとさせれば、いくらモテルと言えど、何らかの代償やしっぺ返しが待っている状態だからだ。それは、明らかに日頃の行動を見れば分かることだ。なので、どんなことがあっても例え変装して隣に弓枝がいようが“私が弓枝よ!”と正直に名乗ってくる可能性は大変低いのが事実だと言える。一度でも逸れたら最後、それが現時点での弓枝の真実の現状だと思う。
一番、可愛そうなのはフィアンセの愛武だと思う。今や、愛武は弓枝のことを心から信頼しきっているのだ。だから、もしも、弓枝の影の本性を知ったら、ショックで気絶をしてしまう恐れがあるのだ。酷いと一命を失う可能性も高いと思う。笑い事ではなく、弓枝という女性と何かの縁があって出会い恋をしてしまった者の、それは宿命だと言えば的確な表現になるだろう。
楓はサラ金事件の件は日記には書かなかった。なぜなら、あまりにも衝撃的過ぎて手が震えて動かなかったというのが事実だった。ただ、一応真実としてメモに走り書き程度にチョコチョコと文字を書き留める程度で終わらした。楓としては日記の内容を出来ればもっと充実させたいという強い希望があるからだろう。
ただ、とても大好きで素晴らしい友人だが、弓枝のことを自分の身内や他の大事な友人にお勧めできるかと言うとやはり、一抹の不安と迷いがあった。彼女のあの人並みはずれたハイテンションな金銭感覚と男を一瞬のうちに一目惚れさせてメシアにしてしまう魔女のような生き様に果たして他の皆が素直に対等に付き合っていけるのかという疑問があまりにも大きすぎるのがそう考えてしまう一番の大きな原因だ。
弓枝のことを芸能界も少し興味を持ったようだったが、―フィアンセの愛武が休みの日にタレント養成学校に通っているせいもあるだろう―さっきお話したとおり、人前に堂々と名乗って出て来れない状態なので芸能界のような華やかな場所からスポットが当たってしまうのは所在地が明らかになりやすく正に命取りの問題であって、マングースと蛇のような天敵の関係だと思われるのだ。だからハッキリ言って芸能界に対しては興味本位に何かを探るように接近されても迷惑なだけというのが正直な感想だ。それは他の類似業界、―演出、脚本、アニメ、漫画など―関連業界に対しても言える。
結局、探るうちにそれらの業界は次第に何か弱みを握ってしまい、こちら側から見ると脅されたり揺すられているような不愉快な気分になってしまって、最終的にこちら側からそれらの業界に対して少しも良い感情が持てなくなるからだ。
愛武との恋愛が弓枝を一周りも二周りも大人にしたといっても、まだそれは恋愛の入り口にやっと辿り着いただけという状態だと思う。二人は青春の真っ只中にいて、何もかもが新鮮で輝いて見えていた。だが、常に暗中模索で手探りの状態なのだ。
愛武が弓枝との未来に結婚の夢を掲げ、必死に努力している頃―愛武は今度のオーディションに受かり見事スターになって弓枝を我が花嫁にしようと真剣に考えていた―弓枝は、沢山の騙してきた男達の追及から逃れるために既に身の置き所を直ちに移動させることを考えていたのだ。
この弓枝の本心に当然ながら、まだ愛武は気づいていなかった。
たったの一日、いや数時間で立ちどころに一般女子OLの一か月分どころか2ヶ月3ヶ月、分くらいお金を集めてしまう能力がある弓枝だから、対等に付き合える男がこの世の中に何人いるかはよく分からない。いるとしても最初は弓枝の外見に惹かれて男も言いなりだろうが、そのうちその恐ろしいまでに気丈な気性の激しさに気づくときっと遅かれ早かれ引いてしまうと思うのだ。一般的に実力者と呼ばれる人物は、同じような能力を持っている実力者とは、異性であっても最終的にはぶつかってしまうと考えられるからだ。そのようなことは事前に配慮してトラブルは未然に防いだほうが良いと思われる。
そして、ダンダンと見えてきていることだが、このように美貌があり、裏界隈では常に暗号とかで表現されて噂されている女性だから、当然ながら美に関する職業のエステシャンやモデル関係者―まあ、ちょっとこの手合いは若さを売りにする場合も多いので必ずそうとは言えない―そして、何よりも最も弓枝に心惹かれ、熱心になる職業の持ち主がいるとしたら、それはズバリ、画家やイラストレーターやアニメーターだと思う。これらの職業の人物が何人も集まって弓枝の美貌の噂に心奪われ集団で集まって金を出し合って調査して弓枝を追い詰めようとしているのは火を見るより明らかだと思うのだ。